こんばんは
菊地留です。
小学校の卒業アルバムの寄せ書きに、
私は「みんな仲良く」って書いたことを、ふと思い出しました。
そういえば両親が夫婦喧嘩をした時、
お母さんには「お父さんはそんな悪い訳ではないで。たまたま〇〇だったから…」といい、お父さんには「お母さんも言い過ぎたかもしれんけど、〇〇な気持ちから言っただけやし…」とお互いをなだめていたことや、友人が会社の上司に不満を爆発させていた時も、「立場が立場やから、そう言わざるえなかたんちゃう」となだめていたなあと思い出しました。
これらは全て、「みんな仲良く」して欲しいからだったんだと、気づきました。
今思うと、あの時は「わたし」という存在はあまりどうでもよくて、周りが仲良くなっていれば幸せだったので、私の意思は置いといて、みんなが仲良く出来るように行動するという、なんとも自分という存在を無視しがちだった昔だったなあと思いつつ、「取り持ち星人」の使命感に燃えていた私。
人と人との間を取り持つ事に(特に家族)必死でしたね。
今は「取り持ち星人」の任務から解放されています 笑(たまに変身してしまうこともあり)
そして大人になり、親元を離れてみて初めて、人のことではなく、自分自身の事を考える時間が出来たように思います。
私という一人の人間が、何を求めているのか?何を考えているのか?
そうして私と向き合うと、私の中にももう一人の私がいるのを発見したり。人と人の間を取り持つスキルが、自分の中でも役立ってる!
意外に他人同士を取り持つ方が楽に感じる時もありましたよ。
「わたし」は手強かったです。
今では様々な学びと、ヒーリングのおかげで、「私と仲良く」出来るようになってきました。
「私と仲良く」出来てくると、他人との関係性も楽になってきます。
私が満たされているから、外から信頼や安心を、必要以上に与えてもらう必要がなくなるわけです。
だから「みんな仲良く」は、みんながそれぞれ「私と仲良く」なれば、勝手にそうなっていくんですね。
そんなことを考えながら、海辺でおにぎり食べたのでした。
本当の自分と繋がる道案内人 菊地 留(りゅう)
「これから私はどう生きるの?」 体や役割の変化によって、 揺らぎと不安やモヤモヤが押し寄せる。 何か分からないけど探し続けてきた。 私がやらなきゃって頑張ってきた。 心の重荷にサヨナラして、 楽しく自分らしくいきませんか?
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