常識を実感する、非常識

こんばんは。
菊地留です。

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読んで、ふと「お風呂のお湯溢れさせて入ってみよう」とふと思った。
もう、思った瞬間から「もったいないやん」「こんなことする意味あるんかな?」が、頭をグルグル、グルグル。

なんたって私はシャワーをほぼ使わず、お風呂のお湯をくんで使い、お風呂出るときは、半身浴どころの騒ぎではないくらいの浅い風呂になってるような日常なわけで。
 それに比べて、うちのおとうちゃんは、たっぷりのお湯があるのにシャワーでシャンプーし、身体の泡を流す。
「風呂桶のお湯使えやー!」と言いたくなるほど。

 私がそのおとうちゃん以上の贅沢をしようとしている!と、自分でビクビクしながら、お湯を入れ始めたわけです。
 たかが、風呂です。
 たかが。
しかしこの「ふと」には従わなければならん!と、ストップさせようとする心の声を聞こえないふりをしながら、とっとと動いて蛇口を開く。

そして、とっとと服を脱ぎジャボーン!
 あー、気持ちええわあ。
身体の温まり方が違う!
なによりやれたことに満足、満足。

お水は大切に使わなければいけない。
もったいないよ。

子供の頃に言われてきたこと。確かに、大切だし、無駄遣いは良くないと思う。
けど、ちょっといままでとは違うんだよなあ。たくさん使うことで、なんかお湯の温かさと大切さを感じれた気がする。頭でなくて、身体で感じ、感謝も溢れる。無駄遣いしないように、ビクビクしながら使うと、そのものは感じられない。そんな感覚を覚える体験でした。

いままでの常識を超えて行動してみるのって、常識を身をもって実感できるという面白い体験出来るよ!

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本当の自分と繋がる道案内人 菊地 留(りゅう)

「これから私はどう生きるの?」 体や役割の変化によって、 揺らぎと不安やモヤモヤが押し寄せる。 何か分からないけど探し続けてきた。 私がやらなきゃって頑張ってきた。 心の重荷にサヨナラして、 楽しく自分らしくいきませんか?